湊かなえ「告白」書き手(湊かなえ氏)の価値観について

先週末は楽しい出来事満載だったのが、ちょっとこの本のせいで色々気分が悪くなったりしたので、書評という形で整理し、すっきりさせたいと思います。ネタばれはない方向としますので、未読の方もご安心ください。
まずウィキより抜粋。『『告白』(こくはく)は、湊かなえによる日本の小説、及びそれを原作とした2010年6月 5日公開の日本映画。第一章「聖職者」が小説推理新人賞を受賞した、作者のデビュー作。2008 年度の週刊文春ミステリーベスト10で第1位に、このミステリーがすごい!で第4位にランクイン、2009年に本屋大賞を受賞した。』
本書は六章構成。つまり小説推理新人賞を受賞したという第一章に、後ろの五章を足した形で長編として成立させているわけです。私自身の感想は「告白」(六章全部)に対するものとご理解ください。
まずミステリー、特に本格マニアの自分の正直な感想は、「推理小説としては破綻している」の一言です。だから文春の一位や、このミスで四位というのがまず分からない。これがまだ第一章のみの評価ならまだ分からないでもないけどというところです。
では「小説」としてはどうか。私は稚拙だと思います。この本のメインテーマは「悪」だと思います。色々な形の悪が語られています。関連テーマとして、親子愛だったり、少年法だったり、教育だったり、いじめだったり、華々しいテーマの羅列です。
この小説で作者は結論めいたものを示していません。読み手が考えるものとして投げ出した形になっています。この手法自体も古くは「藪の中」から今にいたるまで優れた表現者が取っている手法です。
では僕がこの本に読後嫌悪感を感じたのはなぜか。簡単に言ってしまえば「作者がどういう考え方なのか」が一向に掴めなかったからです。僕の想像が正しければ、作者は「何も考えていない」のだと思います。
「悪」を描いた優れた小説は沢山あります。悪を肯定するものもあれば、否定するものも、悪自体は悪くなくそれを生み出す社会への批判を行っているものもあります。
例えばそばとうどんどっちが美味しいかみたいな、どちらでも世の中に関係のないことなら、別に書き手が何か考えを持ってなくても構いません。しかし「悪」について書くことは、「倫理」や「社会」に関わる重要な問題なのです。先程その他のテーマとして挙げた親子愛以降も一つ一つが非常に重要な問題です。しかし作者はその問題それぞれに考え方を持っていない。単に刺激的な本を作るための「スパイス」としてしか考えていないように思えます。
この本が本屋大賞をとったという事実に驚愕します。更に馬鹿者が映画にした。この本は普通の本屋で子供でも買って読めます。これは拳銃を使用説明書や許可証なく売ってるのとほぼ同じです。私たち大人でさえも倫理観が時にはゆがんでしまう社会です。子供への悪影響が心配です。

(注)本作についての湊氏の言動等全くチェックせずに書いた文章であることご了承ください。ただ本の著者は、その本の内容が評価されるべき全てと考えています。