「電王戦が面白すぎて」の件

前回エントリーでは、私の文章の迂闊さもあって、コメントでの人格否定やら、ツイッターでの絡まれと色々ありました。それに懲りずに今旬なうちに考えてることを書いてみたいと思います。
とにかく凄い盛り上がりです>電王戦。一方で現在棋界の最高タイトル戦である名人戦が進行中なのですが、僕自身もあまり身が入らない。2ちゃんねる界隈でも「電王戦が面白すぎて普通の棋戦への興味が薄れた」みたいなスレッドが何度も立ってます。何で電王戦が面白すぎるんだろうかということに僕なりに思ってることを書きたいと思います。
第一にはやはりニコニコ動画ドワンゴ)の仕掛けが優秀だということだと思います。ポナンザの開発者の山本さんが何度見ても飽きないと仰るPVの出来の良さ、またニコファーレからの実況も飽きさせない仕掛け(従来のアンケートなどの視聴者とのコミュニケーションに加え、GPSの形勢判断やちょっと変った切り口のゲスト)がきちんとできており、一方で持将棋含みの駒の点数勝負になった第四局では即席で形勢判断グラフの代わりに点数グラフが出現したりとドワンゴさんらしい機敏な対応も光ってます。あと従来の将棋ファンにも好評なのが残り時間の対局室中継画面への表示(対局室の記録係の台に手でめくるタイプの残り時間表示が置いてある)。これはできればニコニコ動画で中継される他のタイトル戦の対局にも導入検討してもらえると嬉しいなと思います。
第二にはやはり人類対コンピューターという分かりやすくて、それでいて壮大な対立軸。一方でソフトの開発者にもきちんとスポットが当たり、プエラの伊藤さんのような貴重なヒールも出現して盛り上げに一役買っています。あとソフトとプロ棋士の実力関係が丁度いい均衡にあり、勝負面での結果も予想が難しいというのも丁度時宜を得ていると思います。

以上は多分多数の方に賛意が頂ける考察。最後に賛同はいただけないかもしれないけど僕自身が結構感じてることを書きます。それは「人間同士の対局(特にタイトル戦)が逆転が少なくなって面白くなくなってきている。電王戦はそのアンチテーゼになってるので面白い」ということです。
電王戦第二局の感想でも書きましたが、現代将棋は「序盤から少しのよさを追求し、その良さを優勢に広げ、そのまま最後まで逃げ切る」という技術がものすごく発達しています。加えて序盤・中盤の難所を卓越した大局観である程度決断よく指し、難しい終盤に時間を残す渡辺三冠の手法がトッププロの間ではある程度コモンになり、従来のように序中盤で時間を使って考える棋士は確かにそれによって一旦難しいもしくは若干優勢な局面にすることに成功しても、結局終盤に時間切迫により失着をしてしまい勝ちきれないということが続いています(つい先日の渡辺ー佐藤康の王将戦、渡辺ー郷田の棋王戦もそういった場面が多かったです)。先日行われた名人戦第一局でも中盤の折衝で若干の優位を築いた森内名人がそのまま押し切っている。簡単に言うとトッププロ同士の戦いで長時間の持ち時間なら終盤の波乱はまず起こらなくなってる(終盤まで互角なら時間を残している方が大抵勝つ)と言っていいでしょう。それ自体は将棋という技術の面から言えば進歩ですが、逆に観る人間の勝敗の興味という面では「長い時間をかけて見たのに勝敗の趨勢がその殆どの時間で分かってしまっている」ということになっているのだと思います。少なくともタイトル戦を観戦することのワクワク感が自分自身薄れてきていると感じていて、その要因を考えるとそれになるのかなと。
そこに電王戦です。ソフトの序盤力はやはり課題でプロ棋士と指せば若干不利、もしくは大分不利が基本デフォです。しかし駒の当たりが激しくなる中盤から終盤にかけては鬼のように強い(第三局のように思わぬ弱さも露呈した部分がありますが)、そして時間切迫で間違えるということがほとんどありません。競馬で言えばもの凄い切れ味を持った追い込み馬でその脚が届くか届かないかという「勝負の趨勢」について最後までワクワクさせる楽しさがソフトを対戦相手にすることで生まれていると感じます。
先ほども述べた通り、丁度ソフトとプロ棋士の実力が拮抗しているというこの時期だからこそ成り立つ面白さであり、その均衡はいつか崩れるので「電王戦が面白すぎるので」というのもそんなには長くないはず。
そうなった時に人間同士のタイトル戦がやっぱり楽しいやと僕がなっているかは甚だ疑問でして。となると人間同士の対局も面白さを保つために何らかの工夫が要るのではないかと。安易ですがぱっと思いつくのは持ち時間の短縮化で棋聖戦の予選等では既に導入されているとのことで、そういう流れもむべなるかなと。棋戦の中継方法もドワンゴさんのよい手法をある程度取り入れていくのもいいかもしれませんね。この点については僕自身あまりアイディアがないのが辛いところです。