第26期竜王戦七番勝負シリーズを振り返る

標題の通り森内4-1で竜王位奪取となった第26期竜王戦について全体的な総括をしてみたいと思います。(自分が文章を書く場合、着地点といいますか最終的にどういうことを書きたいのかある程度構想を立ててから書くんですが、今回に限っては筆の行くままに書いてみたいと思います。その分文章が自己分解を起こす可能性もありますのでご容赦を。)

まず全体的な印象を言いますと、戦前から感じていたことなんですが森内、渡辺両者とも番勝負においては事前に相当な戦略を立てて臨んでくる作戦家なのですよね。この作戦家同士の差し手争いが本シリーズの一番の醍醐味だったと思います。

具体的に言えば渡辺前竜王の立場からすると森内2-0で迎えた、第三局。ここで見せた急戦矢倉後手番での△3三銀→△2二玉→△4二金上の一連の手順が「後手番での必殺研究」の一つだったのは間違いないと思います。

ここで後手番で必殺研究を持っていることのメリットについて簡単に。トッププロ同士の将棋だと基本は先手が有利であり、時間の長い二日制のタイトル戦だとその傾向が一層強くなる傾向にあります。基本的にタイトル戦は先手番をキープし合うゲームであり、後手番でのブレイクの価値が非常に高いのです。現実に森内2-0の後第三局が「後手番ブレイク」になったのですが、これで森内2-1で次局は渡辺先手番。実質的に番勝負の上では追いついたということになります。

勿論このブレイクは早く実現するに越したことはありません。実際渡辺後手番の第一局、渡辺前竜王は急戦矢倉に誘導しています。「研究の局面に誘導して早めに後手番ブレイクをかます」という作戦が着々と実行されていたことが分かります。

しかしこの作戦は第一局では不発に終わります。理由は森内挑戦者がこの形で一番よく指されてる進行から途中で変化したためです。これが意図的かどうかは分かりませんが「森内挑戦者が従来多く取られている実戦の進行を避ける」という展開はこの番勝負の後半でも大事なポイントとなります。

続いて第四局、第五局は急戦矢倉から離れ通常の矢倉戦(先手4六銀、3七桂型)へ。森内後手番で四たび急戦矢倉の選択肢もあったところ森内先生がこれを回避した形です。それだけ第三局の渡辺先生の構想が決定版と言える優秀さで、これ以上急戦矢倉の土俵で戦うのを森内挑戦者が避けたということになるんでしょう。

しかしこの形の矢倉でも作戦を用意していたのが前竜王の周到なところ。宮田新手と呼ばれる▲6五歩が通常のところ▲2五桂と跳ねる構想。これが前竜王が先手番で用意していた「第二の研究手」。この手に対して過去実戦例が多い進行通り進めた先に深い研究を用意していたのではないかというのが第四局のニコ生解説をされていた羽生三冠の見解。

ここで森内挑戦者は過去の実戦例から敢えて離れ、実戦が一例しかない局面に誘導します(68手△4四馬)。この進行でも後手芳しくない模様でしたが、直後の72手目△7五歩への応対を渡辺前竜王が誤り逆転というドラマが待っていました。前竜王の研究を咄嗟に見切り避けた森内挑戦者、そのかわしによって微妙に感覚を狂わされた渡辺前竜王。この言葉で割り切ってしまうのは乱暴かもしれませんが、事前研究を巡った壮絶な差し手争いがここで行われたのは間違いがなく、ここで勝利を収めた森内挑戦者が流れを掴んだように感じました。

第五局は森内先手番。ここで先後を入れ替えて▲2五桂の意趣返しをしたのが森内挑戦者らしい作戦選択。まあ色々な解釈ができると思うのですが、▲2五桂が竜王の研究手であるなら基本悪い手ではないという「ある種の信頼」が第一にあって、「正しい対応方法を見せてくださいよ」と問いかけているように私は感じました。竜王の心中を勝手に察しますがこれむかつくし、嫌な事やってくるなあと思いますよね。その気持ちが指し手に影響を与えたかどうかは微妙なところですが、心理的な駆け引きにおいて森内流のテクニックが炸裂した第五局だったと思います。

最初に述べましたが、このシリーズは作戦家同士の秘術を尽くした差し手争いの連続であり、今回はわずかに森内挑戦者がその争いに勝利したという印象を持ちました。星は一方的でしたがその内容は僅かの差で少し風向きが違えば全然星が変わっていたことでしょう。ただ今回は森内挑戦者の駆け引きの上手さが際立っていた印象です。一方で渡辺前竜王の作戦も素晴らしいものでこの二者ならではの高いレベルでの駆け引きが楽しめたシリーズでした。