11月4日のこと(母が亡くなった日)

11月4日火曜日
9時45分 ベッドの中に居るところ、枕元の携帯が鳴る。母が入居している施設の看護士さんから。「9時半に様子を見たところ両手両足にチアノーゼの症状。血圧を測ったら上が60。来てください」と。慌ててベッドから飛び起き支度。

9時55分 追って携帯「呼吸がどんどん弱まってます」

10時過ぎ 阪神電車に乗り込む。弟妹にメール連絡。車内で緩和ケアの先生の連絡を受ける。「午前中は外来があるのでそれが終わってから駆け付ける。死亡診断はその時になる」旨。これを聞いて「ああダメなのだな」と思う。

10時45分 施設着。部屋に入ると看護婦さん二人が母を見守っていた。10時20分に呼吸が止まったとのこと。苦しそうな様子は全くなく眠るように息を引き取ったとのこと。母の頭をいつものように撫ででみる。まだ温かった。これがどんどん冷たくなっていくんだと思った。寝ているようにおだやかな顔をしている。聞けば看護士さんが見守りながら「(僕の到着まで)頑張れ」と励まし続けてくれてたという。感謝。
 と、看護士さんがすすっと外に出て行った。部屋は母と私一人。声を上げて泣いた

11時30分 妹着。妹は来る電車の中でずっと泣いていたという

12時30分 緩和ケアの先生着。てきぱきと事務的に仕事をされ死亡診断書を頂く(このてきぱきさはかえってありがたい)。直接死因はがん性悪液質(がん細胞から出る悪性物質による身体機能の低下)

12時45分 看護士さんが死後ケア(エンジェルケア)をされるとのことで衣服を選び、待ち時間の間妹と施設内の食堂で昼食

14時30分 エンジェルケア終了。先程離れた時は相当顔が死んでいる人の顔になってたが、化粧等してくれ普通の顔に。ほんと普通に寝ているみたい

15時 葬儀社の人が来る。母は施設の別フロアの別部屋に移された。畳に移すのを手伝う。思ったより重いなと思った(妹は軽いと思ったらしい)葬儀、初七日法要の日時段取り打ちあわせ。明日通夜、明後日葬式、初七日ということに。

17時過ぎ 葬儀関係打ち合わせ終わり。母の休んでいる部屋に妹と二人で北海道から来る弟を待つ。待ってる間同じ施設の入居者の奥様で色々懇意にしてた方が顔を見に来てくれた。施設訪問者が記名する台帳に私と妹が揃って朝早くから来てるのでただならぬことあったと察して来たという。感謝。

19時過ぎ 北海道から弟着。出迎えのために施設の入り口のところで待っていたのだが、歩きながら号泣している。母のいる部屋に来ても暫く号泣。椅子に座らせて十五分ぐらいでなんとか泣き止み暫く三人で母を眺める(後から聞くと施設が見え始めたぐらいから涙が止まらなくなったそう)

20時30分 弟も気が済んだようで三人で施設を離れることに。ファミレスで食事を取った後解散、帰宅。